釧路日赤病院、看護師パワハラ自死事件

労災不支給取消求め提訴

釧路赤十字病院に勤めていた新人看護師、村山譲さん(当時36歳)が自殺したのは、職場でのパワーハラスメントが原因だったとして、遺族が2018年4月24日、国に労災認定を求める訴えを釧路地裁に起こしました。
訴状では、村山さんは2013年4月に同病院に就職。仕事上のミスを理由に、新人看護師向けのカリキュラムに沿った仕事を与えられず、医師らから「おまえはオペ室のお荷物だな」などと暴言を受けてうつ病を発症し、2013年9月に自殺したとしています。
遺族は2015年9月、労災申請しましたが認められず、再審査請求も2017年11月に棄却されていました。

 支援する集会を開く

提訴の前日夜、釧路市内で「村山さんの裁判を支援する会」の集会が開催され、医療関係者、市民など50人が参加しました。
担当の和泉貴士弁護士は、新人で手術室に勤務した譲さんは、職場の上司による質問攻め・無視・暴言・仕事が与えられないなどのパワハラが繰り返され自死に至った経過を報告し、事実を究明することと合わせて、地域医療の問題も明らかにしたいと報告しました。

北海道医労連の油石博敬書記長は「KKR札幌医療センターで過労死した杉本綾さんの裁判等と合わせて支援してゆく」と決意を表明しました。また、北見日赤病院から参加した看護師は「新人時代、手術室に配置されたことがあり、仕事が覚えられずくじけそうになった。幸い配置替えで助かったが譲さんの苦悩は理解できる」と支援の決意を語りました。

母親の村山百合子さんは「息子は地方公務員を経て看護師になった。『仕事ができない』事はない」と語り、「問題のある職場環境を変えて二度とこのような事件が起きないようにと提訴した」と支援を訴えました 集会にはテレビカメラをはじめメディア関係者が多くの取材が入りました。

大手製紙工場の過労死 調停で和解

2013年9月、大手製紙工場内で電気技師のAさん(当時30歳)が感電死しました。災害発生時は年に一度の「休転期間」で、工場は稼働を停止して設備の点検・保守を行っていました。担当のAさんは徹夜作業中で、9月は亡くなる21日まで、118時間の時間外労働を行っていました。
会社は労災事故として対応し、労災補償は認定されましたが、妻のMさんは「夫は過重労働に苦しんでいた」として、会社への損害賠償を求めるとして弁護士に相談しました。
一昨年、札幌簡易裁判所に調停を申し入れ、以後、9回の調停が行われ、昨年12月26日、謝罪、労災死の労働者の碑を建立する、解決金などで合意が成立しました。
Mさんは2人の子供さんを抱える中、亡くなって4年3ヶ月間、「過労死家族の会」の皆さんにも支えられながら、たたかい続けました。

製紙工場で過労死したAさんの解決事例

Aさんは、2013年9月21日、工場内での労災事故で亡くなられました。年に一度の「休転期間」という工場をストップさせての保守・点検作業中の事件でした。
最初のご相談のとき、既に労災の認定はされており、一定の長時間労働も認められていました。しかし、それ以上の証拠が手に入ることはありませんでした。私たち代理人が最も悩んだのは、妻Mさんのお話をお伺いし、これが過労死であると確信しつつも、正面から過労死と言えないという点でした。死因が感電死だったために、脳心臓疾患とも、精神疾患による自死とも言えず、長時間過密労働との因果関係が問題になるからです。訴訟ではこの点を乗り越える必要があり、それは非常に困難と思われました。
そこで、私たちが選んだ手続は、民事調停手続でした。民事訴訟と違い、民事調停手続はあくまでも当事者間の話し合いによる解決を目指します。そのため、会社がこれに応じなければそこで終了です。会社には内密に準備作業を進めてきたので、会社の態度は分かりません。いわば、一つの賭けに出たのです。
結果は成功でした。会社も真摯に対応してきたのです。こちらが求めた記録や、労働状況の改善案についてもある程度柔軟に提示してきました。会社の主張を前提としても、直近の時間外労働時間は、2013年9月1日から17日までで117時間であり、うち同月9日から17日までは13日間が連続勤務という長時間過密労働が行われていたことに争いはなく、会社にも訴訟移行した場合のリスクがあったからかもしれません。
今回、勝利的和解を勝ち取りましたが、そこへ至る道も困難の連続でした。調停申立てから、実に9回もの期日を重ねました。会社は、道義的責任を認めつつも法的責任は否定し、解決水準にも大きな開きがありました。謝罪の言葉にも大きな抵抗を示されました。 状況を変えてきたのは、常にMさんの思いでした。その強い思いは、会社や調停委員だけではなく、私たち代理人をも奮い立たせ、大幅な解決水準の引き上げだけではなく、会社側から社業の寄与に対する感謝、長時間過密労働を行わせたことへの謝罪、亡くなられたことへの遺憾の意をそれぞれ表明させ、労務管理の改善策を提示させるなど、訴訟では勝ち取りえなかった条項まで、勝ち取ることができました。
私たちにとっても、過労死案件を民事調停で解決させることは初めての経験でした。困難があっても諦めずに、事実を元に説得をする。その基本が改めて重要であることを教えて頂きました。
 北海道合同法律事務所
弁護士 池田 賢太

過労死防止シンポジウム

 札幌 落語で過労死防止を訴え

 厚労省主催の過労死防止を考えるシンポジウムが、2017年11月24日、札幌市男女共同参画センターで開催され170人が参加しました。今回は初めて平日の午後行われ、各事業所から職員が参加しました。

 

会社も労働者も社会全体で 今こそ、過労死のない社会を

講演:上野武治氏  (精神科医師)

電通の過労死事件をはじめ最近の過労死動向にふれ、厚労省が長時間労働対策に取り組んでいる状況にあるとしました。
その上で、労働者のうつ病の病態と治療に関して業務関連ストレスで発症し、睡眠障がいと意欲の減退が起こり、脳内の画像では前頭葉の代謝低下に至る。回復に長期間を要し、自殺の原因になりやすいと指摘しました。
治療のポイントとリハビリ・職場復帰の課題と留意点に触れた後、発症前への回復には3年程度有するとし、予防の重要性を強調しました。
ILO(国際労働機構)は質を重視した労働時間を提唱しており、国連の社会権委員会は日本政府に対して、過重労働や過労死、セクハラに対して「勧告」を行っているとして、長時間労働・過労死根絶の取り組みの重要性を指摘しました。
そして、安倍政権の「働き方改革」は青天井の時間外労働を導入する危険があること、「残業規制」と言いつつ、繁忙期は月100時間までの時間外を認めるなど過労死ラインを容認していると懸念を表明しました。

 

 家族の会体験報告

① 吃音のある新卒看護師のパワハラによる自死の件について、母親から報告されまし た。
病棟勤務でしたが患者さんへの検査の説明で読む練習を求められ、スタッフが行き交う中でうまく話せず、強いストレスを受けていました。試用期間後もその延長を告げられ、    13年7月、勤務して4ヶ月目で「こんな自分に価値はなく・・・」との遺書を残して自死しました。
労災は不支給となり、その取り消しを求めて札幌地裁に提訴したと報告しました。

② 13年9月、工場で感電死した夫(電気技師)の事件について妻が報告しました。 当 時は時間外は「自己申告」でしたが毎月100時間を越え、実態はもっと多く、帰宅してもソファーで寝てしまう状況でした。当時は娘が2歳で下の息子が1歳でした。とてもかわいがってくれていました。
その日は娘が入園予定の幼稚園の運動会で未就学児枠で娘の初めての運動会の日でした。前夜は徹夜だった夫はふらふらした状態での勤務でした。「もう無理!」のメールを私に送った直後の事でした。 会社は事故で労災を申請し、労災は認められましたが、その要因は過重労働です。現在、札幌簡易裁判所で調停を重ねています。

③ 15年2月、28歳の息子さんが建設コンサルタント会社で設計業務を担当し、入職して10ヶ月で自死しました。1ヶ月前の時間外は208時間でした。会社を訴え和解は成立しましたが、死亡事故の場合は指名停止などの社会的制裁がありますが、長時間労働を課して従業員が死亡してもそうした制裁はありません。過労死防止のためには事故と同様の制度が必要ですと訴えました。

 

 過労死落語
「ケンちゃんの夢」
招福亭松枝 師匠

創作落語で4度目の上演でした。師匠は、大手製薬会社で働いていた父親を過労死で亡くした家族がその責任を明らかにしようと奔走する人情落語を熱演しました。参加者は時折笑いを交えながら、落語を通じて過労死遺族の思いを強く受け止めることが出来ました。

杉本綾さん過労死労災不支給取消裁判:国が自宅学習の一部を時間外と認める

8月4日午後、札幌地裁で第3回期日が行われました。国の準備書面では、原告が主張した自宅学習(シャドウワーク)について、一部「時間外」として認める内容が含まれています。弁論後の「報告集会」では、弁護団から「発病時期も含めて、認定基準によっても労災であることを明確にする」と報告されました。

UHBドキュメントが話題

この日は7月29日(土)の昼に、北海道文化放送(UHB)が「新卒看護師の過労危機」のドキュメント(約55分)が放映された直後でした。番組は急性期病院の夜勤に密着取材し、若手看護師の自宅での様子も収録するなど、実態に迫る内容で、共感を呼んでいます。
放映後、TV局には「病棟の現実はもっと大変な状況だ」との声が寄せられているとのことです。
報告集会後に番組を放映し、支援する会として多くの人に見てもらう様にと呼びかけがありました。

「支援する会」署名提出

弁論に先立ち、今年2月から取り組んだ「公正判決を求める」裁判官宛の署名、第一次集約分として、団体署名800、個人署名13,000筆を裁判所に提出しました。

署名活動を広げよう

鈴木緑・板井かね子共同代表を先頭に、連合北海道、自治労、札幌地域労組などに署名の協力要請を行いました。また、女性団体、業者団体、市民団体などにも要請しています。
裁判はいよいよ本格的論戦に入ります。「市民・道民の広い支援で必ず勝ち抜こう」と支援する会は呼びかけています。

新卒看護師過労死労災裁判:国は過重労働を否認し争う

新卒看護師杉本綾さんの労災不支給決定取消訴訟は、4月21日、第2回期日が行われ、被告(国)は、原告の訴えを否認し、争う立場を表明。終了後行われた報告集会には60人が参加しました。

第2回期日は札幌地裁で一番大きな805法廷で行われ、傍聴席は満席となりました。
この間、原告、被告双方が準備書面を提出しました。被告(国)は、訴状に対する認否を示し、客観的事実以外はことごとく「不知」「否認」とし、杉本綾さんが過重な労働で苦しんでいたとの訴えに対して争う立場を示しました。

国は通り一遍の主張

もう一つは労災の認定基準の作成過程を説明し、専門家による検討を経てつくられ、この物差しで判断しているという、通り一遍の主張を行いました。

シャドウワーク

原告は被告の求めに応じて、シャドーワーク(自宅労働)について準備書面を提出しました。
綾さんは、帰宅してから自宅で学習していました。毎日記載した「振り返りシート」には先輩から「復習し再度実践」などと指摘され、看護技術や薬剤の学習を深夜まで行っていました。
弁護団はこうしたシャドーワーク(自宅学習)が労働時間として認定される判例を示して、隠れた時間外労働があると主張しました。

これから本格論戦

次回、第3回期日は8月4日です。原告のシャドーワークの主張に対して国が反論し、原告からも反論を行います。

他2件の新卒看護師自死事件、遺族が発言

報告集会では弁護団の報告の後、釧路の総合病院で新卒看護師の長男を亡くしたMさんと、札幌市内の民間病院で同じく長男を亡くしたIさんの母親が発言し、「同じ新卒で自死した事件は共通の問題がある」と訴え、看護師の勤務環境の改善につながることを望むと連帯の意を表しました。
最後にあいさつに立った鈴木緑共同代表は「満席の傍聴支援は裁判長に、いかに多くの人たちがこの事件に関心を寄せているかを示す事になります。看護現場の厳しい実態を広く伝えて、綾さんの無念の思いを看護師増員、夜勤交代制勤務の改善につなげていきましょう」と呼びかけました。

長男(新卒看護師)は日々の業務に苦しみ半年で自死しました

2013年9月、新卒看護師の長男(36歳)をパワハラ自死で亡くされた母親、Mさんから、審査請求が棄却されたことを受けて、手記が寄せられました。いの健道センターは、労災認定をめざして遺族を支援しています。

2013年4月、希望に満ちて釧路の病院に就職した新卒看護師の息子は、勤務して僅か半年後に「努力をしたが、成長しない人間は給料をもらう資格が無い」と遺書を残し、自ら命を絶ってしまいました。

私も看護師をしています。息子は私の姿を見て30歳の時、看護師になりたいと言って、10年間の公務員としての社会経験を経て、看護大学に入りました。予備校の先生方の勧めもあり、男性で卒業時には36歳になるので、専門学校よりも大学を卒業したほうが将来良いだろうと言うことで大学を選択したようです。

私達、親は年を取っていましたので、学費などは社会人時代に大好きな自動車の購入も控えて節約して貯めた貯金と学生支援機構からの奨学金、そして病院の奨学金を受けていました。不足分は少し、親が援助しました。

「人生の中で一番勉強したよ。充実していた。」と待望の看護師免許と保健師免許を取得し、卒業後、奨学金の貸与を受けた病院に就職しました。就職のとき、勤務場所を相談されましたが、年齢が高いこともあり体力のあるうちに苦労したほうがいいと思い、救急部門か手術室の勤務がいいのではないかと助言しました。息子は素直に「体力もあるし、器械の扱いも好きだから」と手術室勤務を希望し、希望がかなったと言って、大変喜んでおりました。

しかし、息子が自死した後に上司の師長より、「適応能力がない、何度教えても些細なミスが数多くある、チューターが指導で悩んでいた。職場でいろいろ言われていた。」などと告げられました。6月にインシデントを起こしたこともあり、一緒に入った同期は新しいことを経験させたが、息子さんは「足止め状態だった」とも言われました。

確かに新しい仕事で公務員時代とは違うのでうまく出来なかったと思いますが、たった3ヶ月で足止めになるような指導や教育があるのでしょうか?

私が育った昔の時代は、厳しく教えられても誰かが優しく見守ってくれていたと思います。しかし、この病院はそのような優しさは無く、また、決定的だったのは、医師から「お前はこの病院のお荷物だな」と言われてすっかり落ち込んでしまったのでは無いかと推測されます。

息子は9月の給料日に手をつけることなく、たった半年で自死してしまいました。

私は主人と一緒に病院に何があったのか、説明してほしいとお願いしましたが、職場の人には合わせてもらえず、病院職員には箝口令が布かれていると聞いています。

私たちは真実が知りたいと、労災申請しましたが不支給となり、現在再審査請求を行っています。

新人看護師は過酷な現場で苦悩を深めています。その新人を長い目で育てる職場環境づくりが大切と思っています。
夢だった看護師を諦めなければなかった息子の思いも含めて、私たち現場の看護師の声を届け、新人教育を改善することが必要と思います。

UHB(北海道文化放送)は、先月末、Mさんの事件について取材し放映しました。放映後、ネットで多くの書き込みがされ、反響が広がっています。新卒看護師の勤務環境改善と育成について関心が広がっています。

会計事務所主任の自死、労災認定!

被災者のYさんは、K会計事務所に26年勤務し、所長からの信頼も厚く事務主任でした。しかし、8年前に高齢になった所長の後継者(副所長)が管理責任者となってから、Yさんに対する対応が変化してきました。

2009年、事務所の顧客に対して追徴課税が発生した件で、資格を持たないYさんに対して責任を求め、事務所の損害分を給料から「天引き」、ボーナスの減額が告げられました。直後に起こった別の顧客の不正会計問題でも、Yさんに対する叱責や追及が続いたため、Yさんは急速に自信を失い出社できない状況に陥りました。2010年2月には「退職したい」と言い、周りの説得を聞き入れずに退職しました。

この事件を契機にうつ病となり、受診し治療を継続していましたが、病気は回復せず、2013年5月に自死しました。

残された夫の日記には、「プライドはズタズタ」等、苦しかった当時のことを思わせる「書き込み」があり、妻は仕事が原因であることを確信しました。

亡くなって2年が経過しましたが、妻は労災の遺族補償を申請する決意を固めて、弁護士に相談しました。いの健センター、過労死家族の会にも相談し、2016年10月、労災申請しました。労基署の調査では、事実をありのままに伝え、認定を待っていましたが、2017年3月24日労基署から認定の連絡を受けました。

夫が被害を受けてから10年経過し、やっと、無念を晴らすことが出来ました。

UHB(北海道文化放送)が綾さんの事例を放映:大反響でネット上に書き込み3千件超

母親が意見陳述した2月3日、UHB(北海道文化放送)が夕方の番組で約18分間、杉本綾さんの事例を放映しました。その後、その内容がネットに公開され、次々と書き込みが続きました。他のサイトでも「炎上」気味にツィートが寄せられています。

「精神的にキツイ上に、夜勤で体内時計は狂うし、サビ残当たり前だし、いつもヘロヘロ」「私も1年目の時、仕事に行くのが辛くて車の中で過呼吸起こした」「私は自殺未遂を繰り返しました。」「私は寸前で精神科に駆け込みました」「今の看護は患者相手じゃなくて、記録・記録。国の制度でそうなっている」・・・・・。

この事件は「他人ごとではない」「やっと表面化した」と「堰を切った」ような反響です。勇気をもって労災をめざしている母親へのエールもありました。また、介護職から医師まで現場の過酷さを訴え、改善への熱い願いが書き込まれています。

娘(看護師)の自死、母が労災求めて提訴!

札幌市豊平区のKKR札幌医療センターの新人看護師だった杉本綾さん(当時23歳)は4年前、長時間・過重労働などでうつ病を発症し自死しました。しかし、労災が不支給となったため、2016年12月15日、母親は国を相手に労災不支給決定の取り消しを求めて札幌地裁に提訴しました。

看護師の勤務環境変えてほしい

2016年12月15日、午後4時半、原告の母親は弁護団、支援者とともに裁判所前に向かいました。入口には4台のテレビカメラが待ち構えていました。

提訴後に行われた記者会見には報道各社の記者でいっぱいになり、母親は「なぜ娘は自分で命を絶ってしまったのか。タイムカードでは5月に91時間40分の時間外労働に達し、その後も65時間~85時間だった。自宅でも深夜まで自習に追われ睡眠時間は2~3時間だった。」「急性期病院で、加重な労働環境の元、必死に頑張った娘がうつ病になったのは業務以外に考えられない。労災が認められ、医療に働く職員の待遇が変わってほしい。」と訴えました。

杉本綾さん裁判、訴状の要点

KKR札幌医療センターで4年前に看護師が過労死した事件で、弁護団が明らかにした「訴状」の要点は次の通りです。

  1. 労基署は杉本綾さんの過酷な労働実態を正当に評価せず、「不支給」と判断しました。訴状では、平成24年4月から8ヶ月間の労働実態を事実に沿ってありのままに緻密に記述し、裁判所に正しく判断してもらえるようにしました。
  2. 綾さんの精神疾患の発病時期を7月末であることを主張しました。これまでは、7月末から11月末と幅を持たせていましたが、審査請求、再審査請求を通じて、新しい証拠が入手でき、7月末にすでに発病していたと判断したからです。これによって、綾さんの時間外労働時間が特に過酷だった5月~7月の期間がカウントされることとなります。7月は初夜勤やインシデントなどの出来事も集中しており、この時期の綾さんの心身の負担はとりわけ凄まじかったと指摘しました。

尚、弁護団によると、年明けの2月から3月頃に第1回口頭弁論期日が行われると思われるとし、第1回の口頭弁論期日では、法廷で原告本人が意見陳述を行い、裁判官に、直接思いを伝える予定との事です。

「支援する会」では、多くの皆さんの傍聴支援を呼びかけています。

吃音への理解や配慮があれば弟は看護師として働き続けられた:言友会の吃音啓発フォーラムで、自死した弟の気持ちを姉が代弁

11月19日午後、札幌市内で北海道言友会主催の「吃音啓発フォーラム」が行われました。2016年4月に施行された「障害者差別解消法」にもられた「合理的配慮」を考えあう事がテーマでした。この中で、3年前、看護師となった吃音のある弟が仕事上で苦しみ自死した悲痛な体験を姉のTさんが報告し、吃音があっても生き、働き続けることが出来るようにと訴えました。

仕事で悩み・・・看護師に

弟は、3才から難発の吃音をもっていましたが、学生時代は、友人も多く明るく元気で、吃音が大きな壁になることはありませんでした。しかし、希望の警察官採用試験で、面接という壁に何度もふさがれました。近所のおもちゃ屋さんの販売員では、自分の吃音を理解してくれる上司や同僚がいて、働きやすかったようです。

30歳になって、「体の不自由な人の助けになりたい」と思い、吃音症状を理解してくれる病院でなら、人の役に立つ仕事に就けると考え、看護師の道に進みました。吃音を理解してくれる病院を探していましたが、看護学校の講師だった札幌市内の循環器系の急性期病院の看護部長に声をかけられ、「万全の体制を整えて待っています」と誘われ、就職を決めました。本人はもとより、私たち家族は本当に喜びました。

就職しカミングアウト

働いてすぐ、病院から「商品説明」という形の自己紹介を求められました。弟は、・吃音がある。・緊張する場面(人前)で言葉が出にくくなる。・話そうとしているときに急がされると更に言葉が出せなくなる。大声、威圧的、高圧的態度をされると、萎縮してしまう。などと、シートに記載していました。

職場の実態

自死してから、弟の部屋にあったノートには、そのカミングアウトが理解されていない中で苦しんだ状況を示す書き込みがありました。

弟は、重症者の対応で、覚えるのが精一杯なうえ、緊張して何度も吃っていたようです。「繰り返し練習させると吃音が治ると考えていた指導者」は、ナースステーション内のスタッフが行き交う場所で、検査の説明の練習を繰り返しさせていました。
これは、余計に吃りが強くなります。指導者が別の報告手段を考えてくれたり、声をかけてくれれば、少しは違ったのかもしれません。

合理的配慮があれば

上司や指導者たちは、「吃音」についての、知識も配慮もない上に、理解への努力がなかったと思います。

「頭ではわかっているが、普通にできない」ことの苦しみ、辛さは、吃音のある当事者にしかわからない、耐え難いことだと思います。言葉がすぐに伝わらないことだけで、その人の人間性を否定しないでほしいと思います。

しかし弟は、最後まで必死に努力し、自分で選んだ職業を全うしようと思っていました。
人生に「もし」という言葉は無いと言いますが、もし、上司や指導者が、吃音者を理解してくれていて、症状が強く出た時には、心理的な重圧が高くなっているとして、弟に関わってくれていたのなら、このような最悪の結果にならなかったのではと、悔やまれてなりません。

札幌で過労死防止シンポ開催

 

過労死防止啓発月間過労死のない社会、今こそ!

厚労省主催の過労死防止を考えるシンポジウムが、11月23日、札幌市教育文化会館で開催され一四〇人が参加しました。今回は、「電通」の新人社員の過労死で世論が高まる中、「防止」に向けて参加者の決意が示されたシンポジウムとなりました。
玉木一成弁護士が新人女性職員が過労死したワタミ事案を題材に基調報告
居酒屋ワタミ事案について担当した玉木弁護士は、電通の女性社員の過労死事件を引きながら、わずか2ヶ月の勤務で過労死した26歳の女性の事例を報告しました。
2ヶ月間の勤務実態を示したデーターをもとに、夕方から翌日の午前3時・5時まで休憩もとれない中で勤務を強いられたこと、休日の研修会出席やレポートの提出も求められる等、新人に対する過酷な業務の連続だったことを指摘しました。
遺族は会社の対応を批判し、業務による死亡であること、会社と役員には法的責任があること、被告は謝罪し、再発防止に努めることを求めました。更に、損害賠償とともに未払残業代の支払いと同時期4年間に入社した社員に対して未払い分を支払うことなど求めました。これらの要求を認めさせ、「画期的」な和解を勝ち取ることが出来たと報告しました。
この結果から、過労死防止につなげる教訓を示し、過労死根絶に向けての取り組を呼びかけました。

遺族からの体験報告参加者の胸を打ちました

食品会社の支店長だった夫を亡くした妻と、新卒で急性期病院に勤務し8ヶ月で自死した看護師の母親が体験を報告しました。
報告は、過重な業務に苦しんでいるとき、「辞めさせ」られなかったことを悔やみ、仕事のために心身を壊している場合、早く相談してほしいと参加者に訴えました。

過労死を考える会(家族の会)からの報告

世話人代表の菊地悦子さんは、4年間の活動で過労死遺族が7から18になったこと、①相談対応と労災支援、裁判傍聴を行っていること、②啓発事業への協力、過労死遺児の会への参加など活動の広がり、③春と秋の親睦会の開催などの活動状況を報告しました。

最後に、過労死等防止対策推進センターの皆川洋美弁護士から、閉会のあいさつがありました。

食品会社S支店長の過労自死事件会社と「和解」調印

S支店長は課長職から突然、支店長に昇格しました。しかし、減員され、副支店長となった前任者の協力が得られず、達成困難な売り上げ目標の未達成が続き、精神的に追い詰められました。昇格5ヶ月後にうつ病を発症し、「降格」人事を告げられ、その2ヶ月後に自死しました。
労災申請は、会社の時間外労働の記録が不備だったこともあり、棄却されましたが、不支給取消訴訟で、支店長の過重な業務とその苦悩を詳しく主張し、勝訴しました。

その後、会社に対して謝罪と損害賠償を求めて話し合いを続けていましたが、今年3月下旬、裁判外の和解が成立しました。妻は、夫の6回目の命日の前日、「和解書」に調印しました。「6年間支えてくださった皆様に感謝いたします。過労死のない社会をと願っています」と語っています。

たたかいの経過

2010年3月  自死

2010年10月 労災申請

2010年11月 申立書の記載でいの健に相談

2010年12月 申立書を提出その後、聴取

2011年6月 札幌東労基署が不支給決定

2011年8月 道労働局に審査請求

2011年8月 弁護士に相談、意見書提出

2012年3月 労働保険審査官が棄却

2012年5月 厚労省に再審査請求

2012年12月 再審査請求が棄却

2013年4月 札幌地裁に不支給取消で提訴 - 以後、10回にわたる弁論

2015年5月 札幌地裁で勝利判決(確定)

2015年9月 会社に謝罪と損害賠償を求める

2016年3月 裁判外「和解」で調印