杉本綾さん過労死労災不支給取消裁判:国が自宅学習の一部を時間外と認める

8月4日午後、札幌地裁で第3回期日が行われました。国の準備書面では、原告が主張した自宅学習(シャドウワーク)について、一部「時間外」として認める内容が含まれています。弁論後の「報告集会」では、弁護団から「発病時期も含めて、認定基準によっても労災であることを明確にする」と報告されました。

UHBドキュメントが話題

この日は7月29日(土)の昼に、北海道文化放送(UHB)が「新卒看護師の過労危機」のドキュメント(約55分)が放映された直後でした。番組は急性期病院の夜勤に密着取材し、若手看護師の自宅での様子も収録するなど、実態に迫る内容で、共感を呼んでいます。
放映後、TV局には「病棟の現実はもっと大変な状況だ」との声が寄せられているとのことです。
報告集会後に番組を放映し、支援する会として多くの人に見てもらう様にと呼びかけがありました。

「支援する会」署名提出

弁論に先立ち、今年2月から取り組んだ「公正判決を求める」裁判官宛の署名、第一次集約分として、団体署名800、個人署名13,000筆を裁判所に提出しました。

署名活動を広げよう

鈴木緑・板井かね子共同代表を先頭に、連合北海道、自治労、札幌地域労組などに署名の協力要請を行いました。また、女性団体、業者団体、市民団体などにも要請しています。
裁判はいよいよ本格的論戦に入ります。「市民・道民の広い支援で必ず勝ち抜こう」と支援する会は呼びかけています。

新卒看護師過労死労災裁判:国は過重労働を否認し争う

新卒看護師杉本綾さんの労災不支給決定取消訴訟は、4月21日、第2回期日が行われ、被告(国)は、原告の訴えを否認し、争う立場を表明。終了後行われた報告集会には60人が参加しました。

第2回期日は札幌地裁で一番大きな805法廷で行われ、傍聴席は満席となりました。
この間、原告、被告双方が準備書面を提出しました。被告(国)は、訴状に対する認否を示し、客観的事実以外はことごとく「不知」「否認」とし、杉本綾さんが過重な労働で苦しんでいたとの訴えに対して争う立場を示しました。

国は通り一遍の主張

もう一つは労災の認定基準の作成過程を説明し、専門家による検討を経てつくられ、この物差しで判断しているという、通り一遍の主張を行いました。

シャドウワーク

原告は被告の求めに応じて、シャドーワーク(自宅労働)について準備書面を提出しました。
綾さんは、帰宅してから自宅で学習していました。毎日記載した「振り返りシート」には先輩から「復習し再度実践」などと指摘され、看護技術や薬剤の学習を深夜まで行っていました。
弁護団はこうしたシャドーワーク(自宅学習)が労働時間として認定される判例を示して、隠れた時間外労働があると主張しました。

これから本格論戦

次回、第3回期日は8月4日です。原告のシャドーワークの主張に対して国が反論し、原告からも反論を行います。

他2件の新卒看護師自死事件、遺族が発言

報告集会では弁護団の報告の後、釧路の総合病院で新卒看護師の長男を亡くしたMさんと、札幌市内の民間病院で同じく長男を亡くしたIさんの母親が発言し、「同じ新卒で自死した事件は共通の問題がある」と訴え、看護師の勤務環境の改善につながることを望むと連帯の意を表しました。
最後にあいさつに立った鈴木緑共同代表は「満席の傍聴支援は裁判長に、いかに多くの人たちがこの事件に関心を寄せているかを示す事になります。看護現場の厳しい実態を広く伝えて、綾さんの無念の思いを看護師増員、夜勤交代制勤務の改善につなげていきましょう」と呼びかけました。

長男(新卒看護師)は日々の業務に苦しみ半年で自死しました

2013年9月、新卒看護師の長男(36歳)をパワハラ自死で亡くされた母親、Mさんから、審査請求が棄却されたことを受けて、手記が寄せられました。いの健道センターは、労災認定をめざして遺族を支援しています。

2013年4月、希望に満ちて釧路の病院に就職した新卒看護師の息子は、勤務して僅か半年後に「努力をしたが、成長しない人間は給料をもらう資格が無い」と遺書を残し、自ら命を絶ってしまいました。

私も看護師をしています。息子は私の姿を見て30歳の時、看護師になりたいと言って、10年間の公務員としての社会経験を経て、看護大学に入りました。予備校の先生方の勧めもあり、男性で卒業時には36歳になるので、専門学校よりも大学を卒業したほうが将来良いだろうと言うことで大学を選択したようです。

私達、親は年を取っていましたので、学費などは社会人時代に大好きな自動車の購入も控えて節約して貯めた貯金と学生支援機構からの奨学金、そして病院の奨学金を受けていました。不足分は少し、親が援助しました。

「人生の中で一番勉強したよ。充実していた。」と待望の看護師免許と保健師免許を取得し、卒業後、奨学金の貸与を受けた病院に就職しました。就職のとき、勤務場所を相談されましたが、年齢が高いこともあり体力のあるうちに苦労したほうがいいと思い、救急部門か手術室の勤務がいいのではないかと助言しました。息子は素直に「体力もあるし、器械の扱いも好きだから」と手術室勤務を希望し、希望がかなったと言って、大変喜んでおりました。

しかし、息子が自死した後に上司の師長より、「適応能力がない、何度教えても些細なミスが数多くある、チューターが指導で悩んでいた。職場でいろいろ言われていた。」などと告げられました。6月にインシデントを起こしたこともあり、一緒に入った同期は新しいことを経験させたが、息子さんは「足止め状態だった」とも言われました。

確かに新しい仕事で公務員時代とは違うのでうまく出来なかったと思いますが、たった3ヶ月で足止めになるような指導や教育があるのでしょうか?

私が育った昔の時代は、厳しく教えられても誰かが優しく見守ってくれていたと思います。しかし、この病院はそのような優しさは無く、また、決定的だったのは、医師から「お前はこの病院のお荷物だな」と言われてすっかり落ち込んでしまったのでは無いかと推測されます。

息子は9月の給料日に手をつけることなく、たった半年で自死してしまいました。

私は主人と一緒に病院に何があったのか、説明してほしいとお願いしましたが、職場の人には合わせてもらえず、病院職員には箝口令が布かれていると聞いています。

私たちは真実が知りたいと、労災申請しましたが不支給となり、現在再審査請求を行っています。

新人看護師は過酷な現場で苦悩を深めています。その新人を長い目で育てる職場環境づくりが大切と思っています。
夢だった看護師を諦めなければなかった息子の思いも含めて、私たち現場の看護師の声を届け、新人教育を改善することが必要と思います。

UHB(北海道文化放送)は、先月末、Mさんの事件について取材し放映しました。放映後、ネットで多くの書き込みがされ、反響が広がっています。新卒看護師の勤務環境改善と育成について関心が広がっています。

会計事務所主任の自死、労災認定!

被災者のYさんは、K会計事務所に26年勤務し、所長からの信頼も厚く事務主任でした。しかし、8年前に高齢になった所長の後継者(副所長)が管理責任者となってから、Yさんに対する対応が変化してきました。

2009年、事務所の顧客に対して追徴課税が発生した件で、資格を持たないYさんに対して責任を求め、事務所の損害分を給料から「天引き」、ボーナスの減額が告げられました。直後に起こった別の顧客の不正会計問題でも、Yさんに対する叱責や追及が続いたため、Yさんは急速に自信を失い出社できない状況に陥りました。2010年2月には「退職したい」と言い、周りの説得を聞き入れずに退職しました。

この事件を契機にうつ病となり、受診し治療を継続していましたが、病気は回復せず、2013年5月に自死しました。

残された夫の日記には、「プライドはズタズタ」等、苦しかった当時のことを思わせる「書き込み」があり、妻は仕事が原因であることを確信しました。

亡くなって2年が経過しましたが、妻は労災の遺族補償を申請する決意を固めて、弁護士に相談しました。いの健センター、過労死家族の会にも相談し、2016年10月、労災申請しました。労基署の調査では、事実をありのままに伝え、認定を待っていましたが、2017年3月24日労基署から認定の連絡を受けました。

夫が被害を受けてから10年経過し、やっと、無念を晴らすことが出来ました。

UHB(北海道文化放送)が綾さんの事例を放映:大反響でネット上に書き込み3千件超

母親が意見陳述した2月3日、UHB(北海道文化放送)が夕方の番組で約18分間、杉本綾さんの事例を放映しました。その後、その内容がネットに公開され、次々と書き込みが続きました。他のサイトでも「炎上」気味にツィートが寄せられています。

「精神的にキツイ上に、夜勤で体内時計は狂うし、サビ残当たり前だし、いつもヘロヘロ」「私も1年目の時、仕事に行くのが辛くて車の中で過呼吸起こした」「私は自殺未遂を繰り返しました。」「私は寸前で精神科に駆け込みました」「今の看護は患者相手じゃなくて、記録・記録。国の制度でそうなっている」・・・・・。

この事件は「他人ごとではない」「やっと表面化した」と「堰を切った」ような反響です。勇気をもって労災をめざしている母親へのエールもありました。また、介護職から医師まで現場の過酷さを訴え、改善への熱い願いが書き込まれています。

母親が意見陳述:綾の労災が認められ、看護師の「働き方」が改善されてほしい

KKR札幌医療センターの新人看護師杉本綾さん(当時23歳)が2012年に自殺したのは過重労働によるうつ病の発症が原因として、母親が労災不支給の取り消しを求めた裁判の第1回口頭弁論が2月3日行われ、母親が意見陳述を行いました。頭弁論が2月3日行われ、母親が意見陳述を行いました。

傍聴者があふれ、報告集会もいっぱいに

昨年11月の過労死シンポ、12月の提訴以降、新聞、テレビなどで杉本綾さんの事件が報道されてきました。市民の関心が高く、傍聴出来ない支援者が廊下にあふれました。 母親の陳述は「自分で命を絶つような子ではない。何があったのか?」と涙ながらに訴え、傍聴者が静かに聞き入りました。
終了後、会場を移して「報告集会」が開かれ、弁護団、支援団体から、勝利に向けての決意が報告されました。


次回は4月21日午後3時からです。

支援する会では、引き続き傍聴支援を呼びかけるとともに、裁判官宛の「公正判決を求める署名」活動への協力を訴えました。

娘(看護師)の自死、母が労災求めて提訴!

札幌市豊平区のKKR札幌医療センターの新人看護師だった杉本綾さん(当時23歳)は4年前、長時間・過重労働などでうつ病を発症し自死しました。しかし、労災が不支給となったため、2016年12月15日、母親は国を相手に労災不支給決定の取り消しを求めて札幌地裁に提訴しました。

看護師の勤務環境変えてほしい

2016年12月15日、午後4時半、原告の母親は弁護団、支援者とともに裁判所前に向かいました。入口には4台のテレビカメラが待ち構えていました。

提訴後に行われた記者会見には報道各社の記者でいっぱいになり、母親は「なぜ娘は自分で命を絶ってしまったのか。タイムカードでは5月に91時間40分の時間外労働に達し、その後も65時間~85時間だった。自宅でも深夜まで自習に追われ睡眠時間は2~3時間だった。」「急性期病院で、加重な労働環境の元、必死に頑張った娘がうつ病になったのは業務以外に考えられない。労災が認められ、医療に働く職員の待遇が変わってほしい。」と訴えました。

杉本綾さん裁判、訴状の要点

KKR札幌医療センターで4年前に看護師が過労死した事件で、弁護団が明らかにした「訴状」の要点は次の通りです。

  1. 労基署は杉本綾さんの過酷な労働実態を正当に評価せず、「不支給」と判断しました。訴状では、平成24年4月から8ヶ月間の労働実態を事実に沿ってありのままに緻密に記述し、裁判所に正しく判断してもらえるようにしました。
  2. 綾さんの精神疾患の発病時期を7月末であることを主張しました。これまでは、7月末から11月末と幅を持たせていましたが、審査請求、再審査請求を通じて、新しい証拠が入手でき、7月末にすでに発病していたと判断したからです。これによって、綾さんの時間外労働時間が特に過酷だった5月~7月の期間がカウントされることとなります。7月は初夜勤やインシデントなどの出来事も集中しており、この時期の綾さんの心身の負担はとりわけ凄まじかったと指摘しました。

尚、弁護団によると、年明けの2月から3月頃に第1回口頭弁論期日が行われると思われるとし、第1回の口頭弁論期日では、法廷で原告本人が意見陳述を行い、裁判官に、直接思いを伝える予定との事です。

「支援する会」では、多くの皆さんの傍聴支援を呼びかけています。

吃音への理解や配慮があれば弟は看護師として働き続けられた:言友会の吃音啓発フォーラムで、自死した弟の気持ちを姉が代弁

11月19日午後、札幌市内で北海道言友会主催の「吃音啓発フォーラム」が行われました。2016年4月に施行された「障害者差別解消法」にもられた「合理的配慮」を考えあう事がテーマでした。この中で、3年前、看護師となった吃音のある弟が仕事上で苦しみ自死した悲痛な体験を姉のTさんが報告し、吃音があっても生き、働き続けることが出来るようにと訴えました。

仕事で悩み・・・看護師に

弟は、3才から難発の吃音をもっていましたが、学生時代は、友人も多く明るく元気で、吃音が大きな壁になることはありませんでした。しかし、希望の警察官採用試験で、面接という壁に何度もふさがれました。近所のおもちゃ屋さんの販売員では、自分の吃音を理解してくれる上司や同僚がいて、働きやすかったようです。

30歳になって、「体の不自由な人の助けになりたい」と思い、吃音症状を理解してくれる病院でなら、人の役に立つ仕事に就けると考え、看護師の道に進みました。吃音を理解してくれる病院を探していましたが、看護学校の講師だった札幌市内の循環器系の急性期病院の看護部長に声をかけられ、「万全の体制を整えて待っています」と誘われ、就職を決めました。本人はもとより、私たち家族は本当に喜びました。

就職しカミングアウト

働いてすぐ、病院から「商品説明」という形の自己紹介を求められました。弟は、・吃音がある。・緊張する場面(人前)で言葉が出にくくなる。・話そうとしているときに急がされると更に言葉が出せなくなる。大声、威圧的、高圧的態度をされると、萎縮してしまう。などと、シートに記載していました。

職場の実態

自死してから、弟の部屋にあったノートには、そのカミングアウトが理解されていない中で苦しんだ状況を示す書き込みがありました。

弟は、重症者の対応で、覚えるのが精一杯なうえ、緊張して何度も吃っていたようです。「繰り返し練習させると吃音が治ると考えていた指導者」は、ナースステーション内のスタッフが行き交う場所で、検査の説明の練習を繰り返しさせていました。
これは、余計に吃りが強くなります。指導者が別の報告手段を考えてくれたり、声をかけてくれれば、少しは違ったのかもしれません。

合理的配慮があれば

上司や指導者たちは、「吃音」についての、知識も配慮もない上に、理解への努力がなかったと思います。

「頭ではわかっているが、普通にできない」ことの苦しみ、辛さは、吃音のある当事者にしかわからない、耐え難いことだと思います。言葉がすぐに伝わらないことだけで、その人の人間性を否定しないでほしいと思います。

しかし弟は、最後まで必死に努力し、自分で選んだ職業を全うしようと思っていました。
人生に「もし」という言葉は無いと言いますが、もし、上司や指導者が、吃音者を理解してくれていて、症状が強く出た時には、心理的な重圧が高くなっているとして、弟に関わってくれていたのなら、このような最悪の結果にならなかったのではと、悔やまれてなりません。

札幌で過労死防止シンポ開催

 

過労死防止啓発月間過労死のない社会、今こそ!

厚労省主催の過労死防止を考えるシンポジウムが、11月23日、札幌市教育文化会館で開催され一四〇人が参加しました。今回は、「電通」の新人社員の過労死で世論が高まる中、「防止」に向けて参加者の決意が示されたシンポジウムとなりました。
玉木一成弁護士が新人女性職員が過労死したワタミ事案を題材に基調報告
居酒屋ワタミ事案について担当した玉木弁護士は、電通の女性社員の過労死事件を引きながら、わずか2ヶ月の勤務で過労死した26歳の女性の事例を報告しました。
2ヶ月間の勤務実態を示したデーターをもとに、夕方から翌日の午前3時・5時まで休憩もとれない中で勤務を強いられたこと、休日の研修会出席やレポートの提出も求められる等、新人に対する過酷な業務の連続だったことを指摘しました。
遺族は会社の対応を批判し、業務による死亡であること、会社と役員には法的責任があること、被告は謝罪し、再発防止に努めることを求めました。更に、損害賠償とともに未払残業代の支払いと同時期4年間に入社した社員に対して未払い分を支払うことなど求めました。これらの要求を認めさせ、「画期的」な和解を勝ち取ることが出来たと報告しました。
この結果から、過労死防止につなげる教訓を示し、過労死根絶に向けての取り組を呼びかけました。

遺族からの体験報告参加者の胸を打ちました

食品会社の支店長だった夫を亡くした妻と、新卒で急性期病院に勤務し8ヶ月で自死した看護師の母親が体験を報告しました。
報告は、過重な業務に苦しんでいるとき、「辞めさせ」られなかったことを悔やみ、仕事のために心身を壊している場合、早く相談してほしいと参加者に訴えました。

過労死を考える会(家族の会)からの報告

世話人代表の菊地悦子さんは、4年間の活動で過労死遺族が7から18になったこと、①相談対応と労災支援、裁判傍聴を行っていること、②啓発事業への協力、過労死遺児の会への参加など活動の広がり、③春と秋の親睦会の開催などの活動状況を報告しました。

最後に、過労死等防止対策推進センターの皆川洋美弁護士から、閉会のあいさつがありました。

飲食店勤務の弟・調理師は過労死:労災認定めざし、証人尋問

千歳市内の飲食店に勤務していたM・Sさん(男・当時62歳・単身)は2011年7月、激務が続く中、自宅で脳出血を起こし死亡しました。札幌に住む姉のKさんが、「月308.5時間」というメモを見つけ「弟は過労死に違いない」と、翌年4月労災申請しました。しかし、労基署は経営者の意見を鵜呑みにして不支給決定とし、審査請求、再審査請求も棄却されました。

家族会議を行い、このまま泣き寝入りできないとKさんは2014年5月「労災不支給決定の取り消しを求める行政訴訟」を提訴しました。以後、2年4ヶ月間、札幌地裁で12回にわたる期日が行われてきました。

口頭弁論の中では、経営者の「下働きだった」「時間外は少ない」「長期に休んでいた」「朝お酒が臭く、アル中の様だった」などの主張に対して、同僚や友人とのメールのやり取り記録や当時本人が使っていた手帳を見つけるなど新たな証拠を出し、医師意見書も提出しました。そして、いよいよ結審前の証人尋問が行われることになりました。Kさんの尋問は、9月13日午後2時から札幌地裁で行われます。過労死を考える会(家族の会)は傍聴支援を呼びかけています。

研究所と上司はうつ病の発症の責任をとれ! / (株)北海道二十一世紀総合研究所主任研究員が損害賠償を請求

(株)北海道二十一世紀総合研究所の主任研究員のH氏(男・45歳)は、研究所の過重労働で、2006年1月にうつ病を発症。同年11月の復職から給与が半減しました。体調不良で休職を求めても認められず、2008年4月からは退職勧告を受け、2013年7月に労災申請を行ってからは、いじめ・嫌がらせが強まりました。H氏は札幌ローカルユニオン「結」に加盟し、いの健道センターとも相談して労災申請し、2014年1月に発病時にさかのぼって労災の療養補償が認められ、現在、療養・休業補償を受けています。

しかし、研究所はうつ病の発症は、業務上が原因と認めず、労組が団体交渉で指摘しても態度が変わらないため、弁護士とも相談してきました。そして、今年1月、安全配慮義務違反と労務管理をせず、長時間労働やうつ病にり患した労働者を働かせ続けた故意または過失の不法行為があるとして、会社と、取締役で上司のA氏に対する損害賠償請求を札幌地裁に提訴しました。請求したのは①賃金の減額分、②労災対象外の費用、③逸失利益、④慰謝料、⑤弁護士費用で、現在、療養継続中のため、一部請求としています。3月以降、毎月弁論が行われていますが、訴状に対する明確な反論が無いまま、経過しています。次回の弁論は7月27日(水)午後1時15分から札幌地裁で開かれます。

いの健道センターは今後の弁論時の傍聴支援を呼びかけています。

食品会社S支店長の過労自死事件会社と「和解」調印

S支店長は課長職から突然、支店長に昇格しました。しかし、減員され、副支店長となった前任者の協力が得られず、達成困難な売り上げ目標の未達成が続き、精神的に追い詰められました。昇格5ヶ月後にうつ病を発症し、「降格」人事を告げられ、その2ヶ月後に自死しました。
労災申請は、会社の時間外労働の記録が不備だったこともあり、棄却されましたが、不支給取消訴訟で、支店長の過重な業務とその苦悩を詳しく主張し、勝訴しました。

その後、会社に対して謝罪と損害賠償を求めて話し合いを続けていましたが、今年3月下旬、裁判外の和解が成立しました。妻は、夫の6回目の命日の前日、「和解書」に調印しました。「6年間支えてくださった皆様に感謝いたします。過労死のない社会をと願っています」と語っています。

たたかいの経過

2010年3月  自死

2010年10月 労災申請

2010年11月 申立書の記載でいの健に相談

2010年12月 申立書を提出その後、聴取

2011年6月 札幌東労基署が不支給決定

2011年8月 道労働局に審査請求

2011年8月 弁護士に相談、意見書提出

2012年3月 労働保険審査官が棄却

2012年5月 厚労省に再審査請求

2012年12月 再審査請求が棄却

2013年4月 札幌地裁に不支給取消で提訴 - 以後、10回にわたる弁論

2015年5月 札幌地裁で勝利判決(確定)

2015年9月 会社に謝罪と損害賠償を求める

2016年3月 裁判外「和解」で調印

 

夫(MR)の過労死会社は責任を認めて!

夫は会社に尽くしてきた

外資系の大手製薬会社のMR(医薬情報担当者)として勤務していたSさんは、世界各国のMR社員から、わずか1%しか選ばれないセールスチャンピオンとして本社フランスで表彰を受けるなど優秀な社員として会社に尽くしてきました。
そのSさんが06年、過重労働による急性くも膜下出血で亡くなりました。当時46歳の若さです。死亡時は、帯広での単身赴任でしたが、自室マンションが「事務所」となる一人勤務でした。
Sさんは一九八七年に北海道に転勤になってから、道内各地を回り、ホテル住まいと単身生活を続けてきました。また、車による長距離移動、なれない冬道での運転、月3回ほどの札幌等への出張、新薬販売のための自己学習など、緊張と過重な業務が続いていました。

業務以外にあり得ないが・・・。

妻のTさんは07年5月労災申請を行いましたが不支給となりました。
不支給の取消しを求める行政訴訟を行いましたが、昨年8月最高裁が上告を棄却しました。亡くなって7年10ヶ月が経過していました。

絶対に納得できない!

妻のT子さんは、最高裁に上告した際、これまで提出を拒んだパソコン記録(業務開始時間、業務終了時間など)を会社に提出させ、時間外労働が死亡3ヶ月前には月平均約92時間あったことが明らかになりました。もし、労災段階で会社が先のパソコン記録を出していれば認定されたはずです。会社の責任を問わなければ夫の尊厳は守られない
妻のT子さんは弁護士と相談して、会社に対する損害賠償請求を東京地裁に提訴しました。
これまで4回の弁論準備期日が行なわれました。争点は①パソコンの使用時間、②自己学習時間、③自動車運転時間です。

  • ①については帯広での勤務は事務所がなく自宅が事務所になっていたので、パソコンの使用時間は勤務時間になります。
  • ②については会社からの指示です。ただ会社の弁護士は空き時間にできたであろうと反論しています。
  • ③についても自宅が事務所なので、自宅から訪問先までは移動時間ではなく、労働時間に当たります。

いの健道センターは勝訴を願って支援しています。

 

S支店長の労災認定判決の意義 / 弁護士 安彦 裕介(さっぽろ法律事務所)

本年(2015年)5月15日、札幌地方裁判所は、食品会社の支店長を務めていたSさんのうつ病の発症及びその後の自死について、これらが業務に起因して発生したものと認め、労働基準監督署長が行った遺族補償給付等の不支給処分を取り消す判決を言い渡しました。

本訴訟(弁護団は大賀浩一弁護士、佐々木潤弁護士、及び当職)では大きく、①Sさんが会社から課されていた「ノルマ」を達成することの困難性、②Sさんが顧客から受けた「クレーム」を解消することの困難性、③Sさんの労働時間の長さ、の3点をどのように認定・評価するかが争点となりました。

厚生労働省は、心理的負荷によって精神障害が発生した場合の労災請求について、認定基準を定めています。この認定基準によれば、①「ノルマ」については、客観的に相当な努力があっても達成が困難であって、達成できない場合には重いペナルティがあると予告されたという場合には、「強」の心理的負荷があったものとして、精神障害が業務に起因して発生したと認められます。同様に、②「クレーム」についても、大口の顧客等の喪失を招きかねない重大なクレームがあって、その解消のために困難な調整に当たったという場合には、精神障害の業務起因性が認められます。

本判決は、この認定基準に相応の合理性があると認めた上で、①「ノルマ」について、Sさんが支店長の在任中に一度も計画(ノルマ)を達成できなかったこと、及びSさんが受けた内示(支店長から営業所長への異動)が客観的に降格と評価されるべきであること等を理由として、Sさんが受けていた心理的負荷が、上記の「強」の心理的負荷と同等か、これに近いものとして評価すべきであると判示しました。②「クレーム」についても、最重点企業の一つである顧客からのクレームに対応して、後任の担当者の人選に苦慮していたと認定し、Sさんの心理的負荷が、同様に、上記の「強」の心理的負荷と同等か、これに近いものとして評価すべきであると判示しました。本判決は、これらのことから、Sさんのうつ病の発症及びその後の自死が、業務に起因して発生したものと認め、労働基準監督署長の不支給処分を取り消したものです。

本判決は、③労働時間の長さについては国側の主張を認めている点で不満の残るものですが、ノルマの不達成等を原因とする精神障害について、支店長という裁量が大きいと見られがちな役職にあった労働者の労災請求を認めた点において、大きな意義を有していると考えます。

食品会社 S支店長の過労自殺が労災認定!札幌地裁が労基署処分取り消しの勝訴判決

札幌市内の食品会社支店長Sさん(当時 55歳)が自殺したのは過労によるうつ病が原因だとして、妻が労災認定を求めた裁判で、 5月 15日札幌地裁は妻の訴えを認め、札幌東労基署による労災の遺族補償などの不支給処分の取り消しを求める判決を下しました。

判決で本田晃裁判長は「営業目標は相当な努力があっても達成困難で、会社の協力も欠けていた」と指摘し、重要な顧客からのクレーム処理に苦慮していた点も踏まえ、Sさんの心理的負担は強い状態で業務が自殺を招いたとしました。

S支店長は、課長職から支店長になって半年後の2010年 3月、過重な業務により自殺しました。妻は「夫の自殺は業務が原因に違いない」と、労災申請しましたが、労基署は労働時間や達成困難なノルマ、顧客からのクレーム対応などはいずれも心理的負荷は「強」ではないとして「不支給決定」しました。審査請求、再審査請求も棄却されました。

妻はこの決定に納得できず、 2013年4月、国を相手に「不支給処分の取り消し」を求める裁判を提訴しました。その後 10回にわたる弁論を経て今回の勝利判決を勝ち取ることができました。

夫が亡くなって5年2ヶ月近くにわたるたたかいを経て勝訴した妻(原告)は、涙を流して喜び、「ようやく支店長としての仕事が大変だったことを認めてもらうことができた。夫は決して弱い人間ではなかった。長くかかってしまったが、やっと、夫の名誉を守ってあげることができた」と語りました。
同時に、今、議論されている労働法制の改悪の動きに対して、「どうやったら労働者を効率的に使うことができるかを追及しているように思う。夫を失ったものとして、過労死が完全になくなるようにしてほしい」と語っています。
いの健道センターは労災申請の時から相談に乗り、過労死を考える会(家族の会)、弁護団とともに支援したたかってきました。また、判決に対し、国等に「控訴するな」の、要請はがき、FAXに、取り組みました。

会社が示した再発防止対策は、次の通りです。

○再発防止策の策定・実施について

・固定残業制度の時間数削減、撤廃へ
従前60時間分であった固定残業を30時間分に削減しました。今後段階的に削減し、最終的に撤廃する方針です。

・残業事後申請制の撤廃

直属の上司が部下の労働時間を把握・管理するために、今年6月より労働者本人の申請で残業時間を反映させる仕組みを撤廃し、労働時間として記録されたタイムカードを直属の上司が必ず確認する事とします。

・長時間労働該当者の報告

長時間労働に対する経営幹部の意識を強化するために、毎月の役員会議で前月の長時間労働者の氏名と労働時間を報告し、グループで情報を共有のうえ、該当職場に改善を促す事としました。

・定期健康診断受診の徹底

未受診者に受診を徹底して働きかけます。25年度は受診率100%を達成しています。

・管理者向けのコンプライアンス勉強会の開催

管理監督者層のコンプライアンスの意識付けを行うため、月に1度の定例会議の場で、法務部主催の勉強会を開催する事にしました。

○労災事故を再び起こさない誓い

今回のいたましい事例を教訓に、このような不幸が生じることがない職場環境を作り上げることが、Mさんに対する弊社の使命であることと信じています。
従業員の労働時間を実質的な裁量制のままにしていた企業風土を刷新し、上記にとどまらない再発防止策を永続的に継続する所存です。

逆転勝訴が確定(最高裁が上告不受理) / 函館の病院臨床検査技師(22歳・女性)の過労自死

2009年4月、函館新都市病院に勤務したKさんは、半年後の10月に自宅で自死しました。

タイムカードでは、毎月60時間から100時間の時間外が記されていましたが、病院は「時間外決裁書」で時間管理をしており、平均40時間に満たないとしました。しかし、自死する一ヶ月前から、超音波検査を担当し、長時間拘束による疲労と心理的負荷が増していました。両親が申請した労災補償も認定されました。

損害賠償請求訴訟で、札幌地裁は「精神疾患の発症を予測するのは困難」として棄却され、二審の札幌高裁では「長時間労働の実態を認識していたのに、勤務時間を減らすなどの安全配慮義務を怠った」として病院に損害賠償を認めました。
10月末、最高裁判所は病院の上告を受理しないと決定し、遺族の逆転勝利が確定しました。

新人に「即戦力を求める」悲劇の根絶が求められます。

食品会社S支店長の過労死労災訴訟 / 時間外・休日労働の実態が争点に / 弁護士 佐々木 潤

食品会社の札幌支店長Sさんの労災不支給取消訴訟は、これまで札幌地方裁判所において5回の弁論期日が開かれています。訴訟のいくつかの争点の中で時間外労働に関する問題について報告します。

時間外労働時間数の算定方法 国の主張は見逃すことが出来ない!

この訴訟では、Sさんが札幌支店長に就任された2009年9月1日から過労自死をされるに至った2010年3月30日までの間における心理的負荷を与える出来事の具体的程度や、時間外・休日労働の実態が問題となっています。
この中で、国からは、被災労働者の時間外労働時間数の算定方法について見過ごすことのできない主張がなされており、この訴訟において1つの争点となっています。
これは何かと言うと、国は、「認定基準」において、「1週あたり40時間を超えて労働した時間数」を時間外労働時間数とすると定めたことから、例えば、週休2日制の会社で、1日当たりでは8時間以上の時間外労働を行ったとしても、国民の休日がこの週に1日あったため、1週間を通して見ると時間外労働時間数が週40時間を超えない場合には、国による労災認定手続の中では、時間外労働時間数として積算されないというものです(国の算定方法によれば、9時間×四日間=36時間時間外労働時間数は4日間で4時間あったにもかかわらず、週40時間を超えていないので、この週は、労災認定上、時間外労働時間数はなかったことになってしまうのです)。

労基法は、労働者保護に基づくもの!

そして、国は、この訴訟で、週40時間、1日8時間の労働時間を定める労働基準法32条は、その改正の沿革から、週単位の規制に重点を置くものであり、認定基準の考え方にも合致していると主張しました。
しかしながら、労働基準法32条は、いずれも労働者保護の観点から、第1項が1週を通じた総労働時間を規制することで疲労の蓄積を少なくし、その回復を図ることを目的とし、第2項は1日の労働時間を規制することで過度の疲労防止等を図る趣旨とされています(最高裁判決)。
このように、労働基準法32条は、第1項及び第2項それぞれが労働者保護のため個別・独立の目的・趣旨を有するものであり、国の主張するような週40時間の規制が優先的・一次的なものではありません。
そして何より、労働者保護のための法律である労働基準法を根拠として、同じく労働者保護のための制度である労災補償に認定手続において、時間外労働時間数の算定を制限するという国の主張内容は、まったくもって了解できないものなのです。

次回は6月27日に弁論が行われます。

製薬会社員Sさんの過労死 札幌高裁が棄却判決

会社は原因を究明し再発防止策を!

23歳の青年システムエンジニア(SE)が、初めての業務を担当しわずか4か月でうつ病に陥り自死した事例は、昨年9月末に労災認定されました。
それを受けて被災した青年のご両親は会社(大手流通情報・事務機メーカー)に対して、

  • ①過酷な業務を丸投げし、何らの支援も取らなかったことに対する真摯な謝罪を行うこと、
  • ②なぜこのような痛ましい事態を生じたのか、その原因を明らかにすること、
  • ③本来4・5年のキャリアを経て担当する「要件定義」をなぜ1年目の新人に担当させたのか、その理由を説明すること、
  • ④SEの業務ストレスに対処する職場での労働環境づくりを行っていたのかなどを明らかにするよう文書で申し入れていました。

それに対する会社からの回答は、「新人SEでも対応できる業務」であり、「先輩SEが常時サポートできる」体制であったとするなど、事実と異なるものでした。

全面的に反論するため、労災申請時に代理人となっていただいた元SEの網野裕氏(いの健東京センター・大田患者会事務局長)に札幌に来ていただき、ご両親、代理人弁護士といの健道センター関係者による「対策会議」を行いました。
この会議を通じて、青年のパソコンに残されていた膨大な業務資料は会社の主張が事実に反していることを実証するものであること、会社が適切な業務管理・指導を怠り、管理者がその任務を放棄していたことなどが明らかになりました。
会社の姿勢は今後も同様の悲劇を起こしかねない問題を含んでおり、謝罪と事実の調査、再発防止を強く求めることとしました。

 

「北海道過労死を考える会」が設立される

働き過ぎによる不幸な死を力を合わせてなくそう

2012年12月1日(土)、札幌市内で過労(自)死をなくそうと「北海道過労死を考える会」の設立総会が開かれました。総会には、過労(自)死の遺族・家族が11家族14人、弁護士、医師をはじめ過労死問題研究会やいの健道センターの関係者など37人が参加し、記念講演とともに結成までの経過、「会」の規約や当面の方針、役員の選出などを確認し発会しました。

結成までの経過

全国で「過労死110番」や過労死家族の会が結成されるなか、1992年6月、9家族が参加して「北海道過労死を考える家族の会」が結成され活動を開始しました。しかし、2001年6月のニュース「家族の会たより」を最後に不活動になりました。

昨年(2011年)5月26日、「労安学校」で寺西笑子氏(全国過労死を考える家族の会代表)が講演しました。終了後、過労(自)死の9家族11人が集まり、家族の会を再結成しようと話合い、世話人を選びました。世話人は、話し合いを重ねながら結成総会を準備してきました。「考える会」でスタート
この会は、「家族の会」ではなく「考える会」としてスタートします。その目的は、過労死で身内を亡くした家族・遺族だけでなく、自殺未遂の方、大切な友人、職場の仲間を失った人、そして過労死問題に関心をもちその防止に取り組んでいる弁護士や医師等の学識経験者、個人や団体の関係者も参加して過労死防止にむけて広く活動をすすめることです。当面の活動

総会は、当面の活動として3点を確認しました。

  1. ①全国の「家族の会」への参加と共通の取り組み(「過労死防止基本法」の制定)をすすめる。
  2. ②ニュースを発行し会員の交流をはかる。
  3. ③親睦会などの開催

とし、「会」への加入を呼びかけていくこととしています。