新人看護師のパワハラ自死労災不支給処分取消事件

 村山 譲さんのパワハラ自死労災不支給処分取消事件

 公正な裁判によってパワーハラスメントのない職場をつくるための請願署名

2013年、釧路赤十字病院の新卒看護師村山譲さんがパワハラ自死した事件で、遺族が提訴した労災不支給取り消し裁判は9月18日、第2回期日でした。
国は原告の訴状に対する認否を行いましたが、一般論に終始し、パワハラの事実に関しては「否認」または「争う」とするのみで具体的な主張はありません。次回期日は12月20日です。 釧路市を中心に作られた「支援する会」では「公正な判決を求める署名」に取り組んでいます。皆さんのご協力をお願いいたします。

         

村山さん署名用紙

杉本 綾さん過労死、労災認定

    国が自ら裁判を取り下げ

2012年、過労自死した杉本綾さん(当時23歳)の労災の不支給処分の取り消しを求める裁判は、年内結審に向けて大詰めを迎えていましたが、急展開となりました。10月17日、札幌東労基署と北海道労働局の関係者が、原告・弁護団に対して「不支給処分を取り消し、労災を認める」と伝えました。行政庁が自らの決定を取り消すのは異例のことです。
「新卒看護師の労災認定と裁判を支援する会」は10月26日、「杉本綾さん過労死裁判報告集会」を開催。弁護団は、「国は、原告が主張した自宅に持ち帰った仕事(シャドーワーク)について、、研修レポート作成や業務に関わる準備作業を労働時間として認め、昼休み休憩も毎日30分しか取れなかったとして、投薬ミスのインシデントの前後で月100時間を超える長時間労働があったとして認定基準に合致し、労災支給することにした」と説明しました。

しかし、「新人看護師や急性期病院の看護業務の過酷さなどについては反映されていない」とし、労災認定になったことは評価できるが、今後の課題も残されていると報告しました。また、民事訴訟の課題にも触れました。
原告(母親)は「この結果はみんなの力、そしてメディアの力です」と謝意を述べ、綾さんがのびのびと豊かに育ってきた経過を語り、苦しかったたたかいについて、「綾の死だけでなく、助けられる人がいるかもしれないと思い必死に生きてきた。一人で家にいると、毎日のように思い出し涙が出てくる日々。こういう気持ちの親をもう作りたくない」と語りました。

集会では「支援する会」共同代表の鈴木緑さん(北海道医労連執行委員長)がお礼と報告を行い、医師意見書を提出した田村修医師、日本医労連の森田しのぶ委員長、道労連の三上友衛議長、国共病組本部の工藤めぐみ副委員長などとともにいの健道センターの細川誉至雄理事長が、お祝いとともに「成果を今後に生かしたい」と挨拶しました。他の団体・個人から心温まる挨拶が続きました。

提訴して2年、やっと証人尋問へ

うつ病に罹患した21世紀総合研究所の主任研究員

 四年前に労災認定

Y氏(男・46歳)は(株)北海道21世紀総合研究所で主に環境、廃棄物処理・リサイクル分野の調査・研究を行っていましたが、月平均110時間を超える時間外勤務を余儀なくされ、2006年1月にうつ病を発症しました。休業中に主治医の意見を聞くこともなく研究所が症状が軽減したと判断して職場復帰させられた上、給料が減額され、退職勧告を受けました。パワハラも続き雇用不安を感じたため、弁護士に相談し、札幌ローカルユニオン「結」に加盟し「いの健センター」の支援を得て労災申請し、2014年1月発病時にさかのぼって労災認定となりました。

 民事訴訟提訴

研究所に対して「結」を通して減額された給料の支給などを求めましたが、拒否されたため、2016年1月、安全配慮義務違反と労務管理をせず、長時間労働やうつ病にり患した労働者を働かせ続けた故意または過失の不法行為があるとして、研究所と取締役で上司のH氏に対する損害賠償請求を札幌地裁に提訴しました。 請求内容は①賃金の減額分、②労災対象外の治療費、③逸失利益、④慰謝料等です。

 裁判進捗求める

提訴して2年が経過し,この間5回の口頭弁論と弁論準備を15回行いました。被告は裁判長からの和解提案に対して明確な態度を示さず、原告の提案を否定しました。その上、「研究員の仕事は本人の裁量で行っている」として「三六協定」の未届けや労働時間の無管理に無反省です。更に原告の病状について「治癒しているのでは」「主治医に会いたい」等と主張し、他の医師の「意見書」を提出しました。しかし、その内容は精神疾患の認定基準の解説が主でY氏の病状に沿ったものではありません。結局、裁判の引き延ばしを行ってきたかのような経過をたどりました。

 6月に証人尋問か?

2018年3月13日の弁論準備で、裁判長は証人尋問を前提に、原告に陳述書の作成を求めました。2018年6月には証人尋問が行われる見通しです。原告は「久しぶりの口頭弁論となります。原告は「久しぶりの口頭弁論となります。是非、傍聴支援を」と呼びかけています。

休憩中に車内でCO中毒死

 逆転で労災認定

2016年2月、商業施設(帯広市内)の製菓店で働いていたH氏(当時19歳・男)は、休憩中に自家用車内で一酸化炭素(CO)中毒で死亡しました。遺族が申請した労災補償は不支給とされましたが、国の労働保険審査会は先月、不支給とした帯広労基署の決定を取り消しました。

H氏は、施設の駐車場内の車内で昼食休憩中でしたが、当日は大雪の為、車内で一酸化炭素(CO)を吸い、亡くなりました。 遺族は、事業場には休憩室が無く、自家用車内で休憩を余儀なくされていたとして、帯広労働基準監督署に労災申請し、「帯広労連」を通じて、いの健道センターとつながりました。その後、不支給となったため、弁護士面談を通じて審査請求を行いました。棄却後、再審査請求を行い、ダメなら裁判も辞さないとしていましたが、1月26日付で労働保険審査会は、原処分を取り消しました。

急性一酸化中毒で死去した Hさんの終了事例

2018年1月26日、労働保険審査会は、帯広市内の商業施設内で働いていたHさんの急性一酸化炭素中毒のための死亡が業務上の事由によるものと認め、労働基準監督署長が行った遺族補償給付等の不支給処分を取り消す裁決を下しました(弁護団は長野順一弁護士、佐々木潤弁護士、瀨戸悠介弁護士、及び当職)。

Hさんは、業務の休憩時間中、商業施設の駐車場に停めていた自家用車内で休んでいたところ、当日の大雪によってマフラーが塞がれ、車内に流入した排気ガスによって急性一酸化炭素中毒を発症し、死去されました。

被災者の死亡が業務上の事由によるものと認められるためには、①「業務遂行性」及び、②「業務起因性」の要件が認められる必要があります。①「業務遂行性」とは、労働者が労働契約に基づき事業主の支配下にあることをいい、②「業務起因性」とは、労働者が労働契約に基づき事業主の支配下にあることに伴う危険が現実化したものと経験法則上認められることをいいます。

労働基準監督署長は、Hさんが、職場である店舗を出て休憩に入った時点で事業主の支配下を離れたとして、①業務遂行性を認めず、遺族補償給付等を不支給としました。この結果に対して、ご遺族からご相談を受けた弁護団が代理人として加わり、労働基準監督署長による不支給処分の取消を求めて、労働者災害補償保険審査官に対する審査請求を行いました。

弁護団は、①休憩時間中であっても、事業主が本件駐車場の利用料を負担していること等から、Hさんは事業主の施設管理下(支配下)で被災したものであり、業務遂行性が認められることを主張しました。また、②本件事業場には休憩施設が設けられていなかったため、Hさんには自家用車内以外に休憩場所がなかったこと、及び悪天候時の駐車場所を上司から指定されていたこと等に基づき、本件事故は事業主の支配下にあることに伴う危険が現実化したものであって、業務起因性も認められるとの主張を行いました。

これに対して、労働者災害補償保険審査官は、本件事故に①業務遂行性があることは認めました。しかし、②業務起因性については、本件傷病が施設やその管理の欠陥に起因したとは認められず、また自家用車内の休憩行為は業務付随行為とも認められず、さらには天災地変に際して災害を被りやすい業務上の事情も認められない等として否定し、労働基準監督署長の結論を維持しました。

ご遺族及び弁護団は、この結論を不当として、労働保険審査会に対して再審査請求を行いました。その結果、労働保険審査会は、当方の上記主張のとおり、本件事故に①業務遂行性があることを認め、かつ②業務起因性があることを否定し得ないとして、労働基準監督署長が行った遺族補償給付等の不支給処分を取り消しました。

再審査請求でも結論が変わらない場合には、国を被告として取消訴訟を提起しなければなりません。争いを司法の場まで移すことなく、行政段階で終えられたことは、非常に喜ばしい結果であると受け止めています。また、再審査請求で労働基準監督署長の不支給処分が取り消されることは珍しく、その意味においても本裁決は大きな意義を有していると考えています。
                                                                                                   さっぽろ法律事務所
                                                                                                              弁護士 安彦 裕介

 

化粧品製造職員のうつ病

化粧品製造会社に勤務していたHさん(45歳・男性)は、入社以来、経営者に業務以外も隷属を強いられ、人格を否定される「パワハラ」を受け続けていました。2016年春に突然、取締役就任を強いられ、5ヶ月後に平社員に降格され、「嫌なら退職」と言われました。「抑うつ状態」となり休業し、2017年6月に退職勧告を受けました。
弁護士に相談し退職はストップをかけましたが、自宅療養は続いています。その後、妻の支援を得て、いの健センターで面談を重ね、2018年1月、労災申請しました。

特別支援学校教員自死事件で公務災害申請

2017年12月、2年前に自死したS教員の遺族と代理人弁護士は、学校長を訪れ、S教員が自死したのは公務災害にあたるとして地方公務員災害補償基金北海道支部長宛の申請書を提出しました。
事件は生徒からの申し出でS教員の対応が問題とされ、当時の校長及び副校長から頻繁に面談が繰り返され、S教員は生徒の申し出を認めなければならない状況に追い込まれたとして自らいのちを断ちました。
遺書には「不当、偏見に満ちた面談」「「中立な立場の人が誰も存在しない」「自分の心を偽って証言するのは本当に苦しい」などと記されていました。
遺族はこの2年間、事実の立証のために、関係者の支援を受け弁護士とともに努力を重ねてきました。

裁判で係争中に国が労災認定:24時間勤務のビルメン労働者が勝訴

24時間連続勤務のビルメンテナンスの仕事に従事していたSさん(45歳)は、長時間にわたる変則勤務により、2013年10月うつ病となりました。翌年3月労災申請しましたが不支給となり、2016年8月、国を相手に行政訴訟を提訴しました。

第2回期日前の3月初旬に国から「処分の『うち直し』を検討」と連絡があり、以後、原告と当該労基署で話し合いを行ってきました。

原告は、「24時間連続勤務中は仮眠が取れない状態であり、『手待ち時間』ではなく労働時間」と出張していました。国は裁判途上に再度現場労働者の聞き取りを行った結果、S氏の発病1ヶ月前の時間外労働が174時間46分あることを確認し、160時間を超える「特別の出来事」に該当するとして労災認定し、裁判の中止を判断しました。

原告は弁護団と協議し、6月13日それを受け入れることを決め裁判の取り下げとなりました。労災申請した2013年10月から14年2月までの休業・療養補償給付金の支給が決定しました。現在、14年3月以後の労災申請を行い、継続した認定をめざしています。

Sさんは「労災が認められず、体調不良のまま勤務に就き、結局病状は悪化してしまいました。最後は認められましたが、10年間にわたる体調不良と長い闘病生活を続けています。同じような勤務に就いているビルメン労働者の待遇改善につながればいいと思っています」と述べています。

ビルメン労働者の労災認定、瀨戸悠介弁護士の報告です。

国が、訴訟中に札幌中央労働基準監督署が出した療養補償給付の不支給決定取消処分をいわゆる「打ち直し」をすることで支給決定をし直した事例

異例の「うち直し」で勝訴

ビルメンテナンスの労働者Sさんが2016年8月末に労災不支給決定について取り消しを求めて提訴した裁判が平成29年3月末、国自らが不支給決定を変更し、支給決定とする「打ち直し」をすることで解決しました。

3日に1度の24時間勤務

Sさんは、平成6年8月から、札幌所在のビル管理会社に勤めており、平成19年6月からは新聞工場の設備保守管理、機器運転監視等を行っていました。Sさんが管理をすることになった新聞工場は、平成19年7月から稼働したばかりで、Sさん以外に空調機器を操作できる同僚もいないため、Sさんは一人で湿度や温度等の情報採集や機器への情報の打ち込みをせざるを得ない状況が続きました。

Sさんの勤務時間は3日に1度の24時間勤務であり、仮眠時間は5時間となっていましたが、仮眠場所はパーテーションで仕切った程度で、室内の音は普通に聞こえる状況でした。しかも、毎日午前2時に必ず電力異常の警報が鳴り、午前4時ころからは輪転機のメンテナンスを行う業者が新聞工場を来訪することが頻繁にあるなど、警報音や対応のせいで仮眠もとれない状況でした。

労災申請と不支給決定

Sさんは上記の過酷な労働環境によって、平成20年7月、うつ病と診断されたため、会社に対し転勤願いと有給申請をしました。同年9月、Sさんは別のビル管理業務となりましたが、平成25年9月頃には月約174時間の残業をすることとなり、うつ病の症状が増悪したため、同年10月2日、病院に入院することになりました。Sさんは、このうつ病は労災だと考えて労災請求をしましたが不支給決定となり、審査請求、再審査請求でもこの判断が覆ることはありませんでした。

不払い残業代は認定

この間、Sさんは、平成27年2月2日、札幌中央労働基準監督署に対し、平成25年2月分から平成27年1月分の未払残業代の支払いを求める申告を行いました。すると、平成27年2月13日、札幌中央労基署は、コールセンターでの仮眠時間及び休憩時間は、全て労働時間だと認め、会社に対して是正勧告を出したのです。しかし、審査請求、再審査請求ではこの事実は無視され、平成28年2月24日、労災不支給が決まりました。Sさんは悔しい思いを捨てきれず、8月末に取消訴訟を提訴したのです。

3月、「処分の打ち直し」

その後、平成29年3月初旬、国の代理人から連絡があり「国が『処分の打ち直し』を検討している」と伝えられました。平成29年3月24日、札幌中央労基署副所長その外2名がSさんの下を訪れ、不完全な調査で不支給決定をしたことを謝罪しました。そして、同年4月4日、支給決定が出されたため、訴訟は取り下げにより終了しました。

「あきらめない」Sさんの粘りが勝利を招いた

国が訴訟中に処分の変更を行うことはとても珍しく、私を含めた弁護団でもとても驚く結果となりました。やはりSさん自身が審査請求や再審査請求の棄却の結果に諦めず、労基署に未払い賃金を申し出て是正勧告を勝ち取ったことで、国もこれ以上は戦えないと白旗を上げ、支給処分をしたのではないかと思います。 私自身もこの事件を通じてあきらめないことの大事さを教えていただけました。まだまだ解決していない点も残っておりますので、今後もSさんのために支援を続けていく所存です。

弁護士 瀨戸悠介(たかさき法律事務所)

うどんチェーン店・店長の民事訴訟「和解」

2016年3月、過重労働で労災認定を受けていたうどん店の店長Aさんは、弁護士と相談して昨年年末に民事訴訟を提訴しましたが、先月和解しました。担当されたブラック企業被害対策弁護団北海道支部の弁護士からの報告を掲載します

大手うどんチェーン店に店長として勤務していた札幌在住のAさんが2016年末に会社を相手に安全配慮義務違反による損害賠償請求を求めて提訴した裁判が、第1回期日前に和解で解決しました。

Aさんが2012年に入社した大手うどんチェーン店では、店長が複数店舗を担当するとされており、Aさんも3店舗の店長を兼任させられました。Aさんは、20年近く飲食業界におり店長経験も豊富なベテランでしたが、流石にこのような勤務形態は初めてで、14日間連続勤務、月110時間超の残業を含む過酷な労働を経て、入社後わずか4ヶ月でうつ病を発症し入院することになりました。

Aさんは、うつ病が小康状態になったあと2015年に労災申請を行いました。会社の非協力的な対応もあり当初は難航しましたが、いの健センターの助けもあり、2016年に無事労災支給決定がなされました。これを踏まえて、会社の安全配慮義務違反を問うために提訴したのが冒頭で述べた裁判です。

Aさんとしては、長時間労働に対する社会的な注目が高まっている情勢でもあり、裁判を通じて会社の社会的責任を問いたい想いもありましたが、未だ療養中であり、裁判を行うことに医師から消極的な意見があったことや、会社側からAさんが納得しうるだけの和解案が提示されたことから、和解に踏み切りました。

諸般の事情により、和解内容や交渉経過について述べることはできませんが、今後、会社が再発防止のための労働安全衛生活動を行うことをAさんは確信しています。

また、この裁判を提起するにあたりワタミ過労自死事件のご遺族が設立した「望基金」からご支援を頂きました。このご支援を頂いたことによりAさんはとても励まされましたし、「望基金」の支援を得た事件であると会社側が認識したことが早期和解に繋がったようにも思います。

和解成立を受け、Aさんは寛解を目指し職場復帰に向けた努力を開始しています。

この事件を担当したブラック企業被害対策弁護団北海道支部としてもご本人にとって良い解決がなされたことで職責を果たすことができたことに感謝するとともに、今後もこのような被害者の救済にあたっていく所存です。

ブラック企業被害対策
弁護団北海道支部
弁護士 中島 哲

「公務災害」を考える学習会ひらく

2016年9月10日(土)午後2時~5時まで、札幌市内で「『公務災害』を考える学習会」を行いました。この学習会は、公立学校の先生が生徒指導問題で、不当な扱いを受け自死した事件で、遺族と元同僚が民間の労働者の「労災」に当たる「公務災害」を申請するにあたって、制度の内容を知るために行われました。「公務災害の当事者及びその家族を支える会」と「いの健道センター」が共催しました。

東京過労死を考える家族の会の工藤祥子さんは、「夫(教員)の過労死認定を得るまで」をテーマに自らの体験を報告しました。

中学校教員だった工藤さんの夫は、生徒指導専任とサッカー部顧問などを受け持ち、休日もない過重労働に巻き込まれ、2007年6月、くも膜下出血で急逝しました。享年40歳でした。

工藤さんは、過重労働が原因に違いないと、公務災害の申請を決意し同僚教員、校長の後押しも得て、膨大な申請書類をまとめ、翌年8月、地方公務員災害補償基金県支部に申請しました。しかし、2010年5月に「公務外」とされました。工藤さんにとって「夫が2度殺された」との悲痛の思いでした。

早速、審査請求を行い、「公務上」と認められたのは2年半後の2013年1月でした。夫が亡くなって5年半が経過していました。工藤さんは、校長先生までが過重労働と認めているのに、公務上を認めない「公務災害」制度の問題点を指摘しました。「何度もあきらめそうになりましたが、粘り強くたたかい続けたことで良い結果を得ることができました」と語りました。

続いて、松丸正弁護士(過労死弁護団全国連絡会議代表幹事)が、公務災害と労災制度の違いについて、労災は直接遺族補償を請求するが、公務災害はまず、「公務上」を認めてもらう請求を行い、その後、遺族補償請求となること、申請は、

①所属長(校長ら)が調査表を作成する。

②労災であれば労基署が行う関係者からの聴取手続きはなし。

③追加調査も所属長宛に行われるため、所属長への協力依頼が重要となるなど、

労災以上に周到な準備が必要であると話しました。

また、今回の教員の自死事件について申請に当たっての留意点についてコメントしました。
参加した高校教員は「今回の事件は他人ごとではない。遺族を支えて今回の事件が「公務上」となるよう支援したい」と語っています。

バス運転手:運転中の脳出血で左半身マヒ労災認定!

バス運転手A氏・男性、55歳は、2015年8月定期バスで札幌市内を運転中に脳出血で倒れ労災申請していた事件で、労災支給が決定しました。

A氏は、左半身マヒ、意識・見当識障害など障害1級となり、入院治療が続いています。勤務拘束時間は月288時間、公休は月4日という過重な勤務状態でした。

妻がいの健センターに相談し弁護士、交通、運輸関係の労組とも連携をとりながら、労災認定をめざしてきました。この事件を契機に、バス運転手の労働条件改善に向けた取り組みをめざしています。